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2018年5月26日 (土)

自省込め強制不妊手術の報道責任問う

2018525日  上出義樹

 

重大人権問題を知らなかった記者としての自らの不覚

今年1月以降全国各地で、国による強制不妊手術や優生保護の報道が流され始めたとき、恥ずかしながら、これは戦前か戦中の話だと思った。ところが、1973年に成立し、1996年まで続いた法律が根拠になっていた。1996年といえば私も現役の新聞記者。絶対に目を向けなくてはいけない問題に、全く関与できなかったのは痛恨の極みである。

 

名乗り出ている被害者は氷山の一角

強制不妊手術のような重大な問題がなぜ、それまで私の耳には入らなかったのか。私と同世代の記者に小当たりに聞いた範囲では、ほとんど私と同じような認識、つまり「良く知らない」だった。その後、地方紙を含む新聞やテレビ各社は、強制不妊手術関連の報道を五月雨的に行っている。いまのところ救済の対象となるのは、全国で1万6千人ほどの実際の被害者の4分1ほどではないかともみられている。

 

メディアがすべきことは他人事ではない真摯で科学的な検証

ところが、どのメディアも自らの報道責任ついてはほとんど触れていない。全ては国の所業あるかのような報じ方なのだ。そんななかで数日前、NHKが「私たちメディアにも責任があるのかもしれません」と、とって付けたようコメントを流していた。

メディアは冤罪事件などでこれまで同じような過ちを何度もくりかえしている。本当に必要なのは、小手先のコメントではなく、強制不妊手術に関わる全メディア挙げての報道責任の真摯で科学的な検証ではないのか。

 

(かみで・よしき)北海道新聞社で編集委員など担当。現在フリーランス記者。上智大学メディア・ジャーナリズム研究所研究スタッフ。

 

 

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